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催眠療法を受けてみた

2006年9月10日

●クレニオセイクレルと催眠療法

ダラムサラのチベット人元政治犯の
人たちの拷問後遺症を癒すために
アメリカのシアトルから、
9人のクレニオセイクレルの技能を持つ人たちが、
来印して、治療にあたるというプロジェクトが進んでいる。
いまちょうど半分の日程が済んだところだ。
当初もっとも心配されていた、
チベット人たちが続けて治療を受けに来るかという問題は、
26人のチベット人たち全員が毎日受けにやってくるということで、
杞憂に終わったようだ。
誰もが何がしかの気持ちよさや、
効果があるという手ごたえを得ているようだ。
私もかれらから、クレニオセイクレルを受けてみた。
ちょうどゆらぎ瞑想で
超微速のゆらぎに移って、
サブボディ(下意識)モードに切り替えるときの
速度と同じゆっくりさでからだに触れ、
微細なからだの闇のクオリア流動を促す手法だ。
これなら効くだろうと思った。
触れ方のバリエーションなどいろいろ学ぶものがあった。
もともと私は自分がからだに対する手技を受けるのが大好きなので、
世界中の手技を受けて回った。
その中から下意識に働きかけるもっともよい触れ方を総合している。
クレニオセイクレルは、もっとも微細な触れ方のひとつだ。
タイ山岳民のアカ族のマッサージも
肌にそっと触れ続けるだけのほのかなものだった。
イスラエルのヒーラーのハリーの手技も
からだのゆらぎをそっと増幅するものだった。
レイキのようにまったく触れずに手をかざすだけのものもある。
生命体はもともと微細なひも共振レベルで共振しているし、
微細次元のクオリアを感じ取る力を持っているのだから、
フィジカル以外の共振を感じ取っているのかもしれない。
東洋の<気>とは、
そういう未解明の不可視の相互作用をさしているだろう。
私自身にとってもこれから究明していかねばならない
広大な闇が拡がっている。

リーダーのリサは、
催眠療法もやるというので
それも受けてみた。
シアトルのジャックという仏教系の催眠療法の技術だが、
意外な導入方法を持っていた。
リサは会うなりいきなり
とうとうとその療法の理論を述べはじめた。
特異な心理学用語を多用するので対応に骨が折れる。
ルンタプロジェクトの高橋明美さんに通訳をお願いしたが、
それでも理解に四苦八苦だ。
小一時間話すうちにだんだん頭が痛くなってきた。
uncomfortableと、disturbingの違い
についての話題になったあたりで、
とうとう我慢できないほど気分が悪くなって話を中断して横になった。
すると、その瞬間を待っていたかのように、
リサは催眠的な導きをはじめた。
からだのなかの怒りを感じつづけて、
その体感のイメージを語るように言う。
それを語っているうちに、その怒りを解き、
自分の中のハイヤーセルフに会うたびに招待するという。
ハイヤーセルフなど信じない私も、
論争する気にはなれず、
まあいいやと導かれるまま旅に出た。
近所の野山の道を歩いているところを思い浮かべる。
やがて、動物の導き手が現れる。
わたしは犬を思い浮かべた。
その犬に導かれて歩いていると、
小屋がある。
ドアを開けると誰かがいる。
老人だ。
だがあまりに元型的な老賢者との出会いという
ストーリーに抵抗が生まれたのか、
老人のイメージは壊れ、
アメーバのように溶け出した。
俺らしいなと思っていると、
それはハイヤーセルフではなかったようだ。
もっと旅を続けようという。
歩いていると洞穴とかがあるかも知れない
というリサの暗示に従って、
わたしにも洞窟のイメージが湧いてきた。
今度の洞窟には長い髪と髭をのばし老人がいる。
老人になにか贈り物をしようというので、
ポケットを探すと笛が出てくる。
笛を老人に渡すとかれはそれを口の中に入れてしまう。
老人がなにか贈り物をしてくれるというので、
口にいれた笛がベルに変容して出てくる。
それが老人からの贈り物だ。
そのベルがからだに溶け込む。
黄金の光に包まれて輝きだす。
リサの誘導も手伝って、
そういう夢のようなイメージが浮かんだ。
よくあるイメージだと思うが
下意識は暗示に抵抗できない。
気づいても動でもいいやと思えてしまうのだ。
半催眠状態の中で、
おっ、このベルは共振のシンボルではないか、
俺らしい贈り物だなと気づいた。
俺はからだに共振のシンボルの黄金のベルを入れて、
ひとびとに共振のよさを伝える仕事がしたいのだという
メッセージを内なる下意識から受け取ったわけだ。
催眠から目覚めると胃の痛みも消えすっきりとしていた。
自己イメージがすっきり通った。
なかなか心地よい体験だった。
リサの催眠療法はこうして
自己の下意識との交通を促すものらしい。
自全に出会うよい手助けになる。
当初、わけの分からない話題でクライアントを混乱させ、
意識をストップさせてしまうという手口は
なかなか見事なものだった。
まんまとかかった。
私も、朝から灰柱で歩きながら
胎児になりこむ瞑想歩行続けて、
催眠を受ける準備を整えていたので、
かかりやすいからだの状態になっていたようだ。
じつは、サブボディメソッドでもよく似た手を使う。
意識では追いつけないほどの課題を
次から次へと生徒に与えて
意識など使っていては間に合わないという状態を作り出すのだ。
同時に足の裏にかかる重心のゆらぎと、
呼吸と、内呼吸による快感に同時に耳を澄ます
というような芸当は意識にはできない。
必然的に下意識モードになっていく。
世界にはじつにいろいろな手法がある。
だが、それらに共通しているのは、
日常的な自我への囚われから逃れ、
下意識を含む自全に出会うということだ。
それを考慮すれば、
あらゆる心理療法や身体療法の位置が見透かせる。
ジェンドリンのフォーカシングは、
自全の咸じる不全感に注目して
その意味を受け取ろうとするものだ。
ミンデルのプロセス指向心理学は、
そこで受け取った微細なサブシグナルを増幅し、
一次プロセス(日常体のアイデンティティ)と
それを超えて新しい自己を求める二次プロセスとが
ぶつかり合うエッジに直面させて
、エッジを乗り越えていく自全の旅を促すものだ。
野口整体は、
下意識のからだから自然に出てくる動きを増幅する活元運動や、
それを二人でシェアする相互運動を通じて、
自全と交通のよい心身を養成していく。
サブボディメソッドは、
それらの動きをさらにサブボディ舞踏にまで
創造することを通じて、
自己心身を一新する。
おそらく、世界中で、
これらすべてのプロセスを総合的に見通せている
もっとも透明度の高い技法だ。
上に述べたすでに定評のある優れた方法に比べ
後から生まれてきたのだから、
当然のことといえばそれまでだが。

サブボディメソッドは、これから、
生命の持つ共振と創造というふたつの本性に向かって
人々がじょじょに解放されていく道を切り開いていこうとしている。
そのためにさらに、なにをしなければならないのか?

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サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ
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by subbody | 2006-09-11 01:45 | からだの闇に聴く
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