チョ・スンヒ事件に共振する発言。たった一人だけ

2007年4月22日

●チョ・スンヒ事件に共振する発言。一人だけ

ネットでチョ・スンヒ事件への言説を検索する。
今日になって、一人だけ共振できることを書いている
ブログに出会った。
だが、日本人ではなかった。
韓国籍のIZANAMIというコードネームの女性の

「エイッ‾! かんしゃく爆発
日本が自分たちの罪を悔やむことができない理由」

というブログだった。

「韓国系学生は被害者です」
「チョ・スンヒ氏がアメリカ社会に残した遺言」
「虐めによって人格破壊されたチョ・スンヒ氏!」

という3本の記事が投稿されている。
アメリカにも5年間住んで身をもって
アメリカ人の東洋人差別を体験してきた人だ。
もともと、日本人の韓国差別に立ち向かい、
歴史認識を改めようとする姿勢の人のようだから、
当然の言葉だ。
ちょっと、一面的過ぎるけれど、
世界を相手に孤軍奮闘しようとするときに、
民族精神や民族的立場などの<元型>に
囚われてしまうことが起こるのはやむをえないことだ。

それは、彼女がイザナミというコードネームを
身にまとっていることからも推測できる。
おそらく彼女は、日本人が日本の女神と思っている
イザナミって、韓国からの渡来人だったのよ!
という日本人にとって無意識となっている事実を
示唆する女神として降臨しようとしているのだ。

元型を身にまとう時にはその正負の意味を
自分で透明化できなくてはならないという
課題を引き受ける必要があるが、
それは彼女にとって後の課題だ。


ああ、それにしても、
日本人には誰一人いないのか。……
国家・社会に追い詰められる弱者に共振する人がなくて、
戦争国家に突き進む小泉・安部路線が止められるわけもない。

いったい、この国はどうなってしまうのだ?


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# by subbody | 2007-04-23 01:16 | 共振論

チョ スンヒ事件に人種差別の根を掘る――バージニア工科大銃乱射事件

2007年4月19日

●覆い隠された無意識の人種差別

今日になって、米大学乱射事件の犯人
チョスンヒ(Cho Seung-Hui)が
NBCに送付したビデオ、写真、テキストがMSNBCのサイトや
YouTube.comに掲載されていることを知った。

犯行声明の一部を読むと、
彼が米国社会そのものからとことんまで
追い詰められていた様子がよく分かる。
普段は内気で温厚そうな顔つきだが、
犯行直前の彼の形相は
生死の境で死に物狂いに歪む胎児そっくりだ。
MSNBCに掲載された犯行声明の一部からは、
「人種差別」ということばが巧妙に削除されていて、
米国のメディアがこの事件と人種差別問題を
切り離そうとしている作為が透けて見えるが、
その他の記事からは、
「黒人が人種差別主義者であっても、君らはOKか?」
というような問いかけが見られることや、
自分を9.11事件のアルカイダの人々と同値していることからも、
彼が米国の主流派の人々の無意識に発する人種差別意識に
傷つき、追い詰められていたことが分かる。
日本のマスメディアには女性関係のもつれなどという
表層の出来事に焦点をずらせて処理しようとしている記事も見られる。
これもまた社会や国家が人を追い詰めている
不可視の圧力や人種差別問題から
目をそらせようとする作為に満ちていっそう犯罪的だ。
人種差別意識は実は意識ではない。
命の共振を忘れた心が無意識のうちに行っているのだ。
無意識だから、だれも自分が人種差別を行っていることに気づかない。
そんな問題などどこにあるの?
と平気で言う。
わたしはこの事件に共振して
ライフルを発砲した金喜老事件や、
李珍宇の強姦殺人事件を思い出した。
もう覚えている人などいないかもしれないが、
すべて無意識の人種差別に追い詰められて起こった事件だ。

彼のことばを引用しよう。

「お前たちは俺の心を潰した。俺の魂をレイプし、
俺の意識を拷問にかけた。
わたしはか弱く、防御もできない人々を奮起させるために、
イエス・キリストのように死ぬ。
お前たちは黒人が人種差別主義者であっても、OKか?
革命をはじめよう!」

わたしは瞑目する。
彼と彼の反抗の犠牲者となった32人の冥福を祈る。
彼らは皆、現在の国家と社会が人を押しつぶす
不可視の力によって殺された。
この世界をどうすれば変えることができるのか。
人間が失った命の共振力を
どうすれば回復することができるのか。


下記は、Cho Seung-Huiの犯行声明の一部である。


• You have vandalized my heart, raped my soul and torched my
conscience. You thought it was one pathetic boy’s life you
were extinguishing. Thanks to you, I die like Jesus Christ, to
inspire generations of the weak and the defenseless people.

• Do you know what it feels to be spit on your face and to
have trash shoved down your throat? Do you know what it feels
like to dig your own grave?
Do you know what it feels like to have throat slashed from ear
to ear? Do you know what it feels like to be torched alive?
Do you know what it feels like to be humiliated and be impaled
upon on a cross? And left to bleed to death for your
amusement? You have never felt a single ounce of pain your
whole life. Did you want to inject as much misery in our lives
as you can just because you can?

• You had everything you wanted. Your Mercedes wasn’t enough,
you brats. Your golden necklaces weren’t enough, you snobs.
Your trust fund wasn’t enough. Your vodka and Cognac weren’t
enough. All your debaucheries weren’t enough. Those weren’t
enough to fulfill your hedonistic needs. You had everything.


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# by subbody | 2007-04-20 04:03 | 共振論

殺人に追い詰められる人の心と共振する―バージニア工科大学銃乱射事件 

2007年4月18日

●大量殺人に追い詰められるまでの心

米国のバージニア工科大学で
銃乱射事件があったことを
行きつけのブログで知った。
ニュースサイトを開くと、
容疑者はチョ・スンヒという韓国人の学生だという。

わたしの名のLeeは、昔水泳仲間だった
在日韓国人の李さんへの共振から生まれた。
日本で「りです」と名乗ると、多くの人は
(日本人ではないのですか?)という暗黙の反応を返す。
ごく微細なその人のアイデンティティの質が現れる。
ほんの少し引く人もあれば、
とたんに顔が曇る人もいる。
友情を示す人はごくまれだ。
わたしは付き合うべき人を見分けるために
この名を選んだ。

その韓国人留学生の殺人に至る心が
透明に見える。
何もかも痛いように分かる気がする。

その学生は4年生から編入した。
英語はあまり得意ではなかったかもしれない。
あるいは、大学の寮で、最初に会った米国人の学生の
内輪英語のニュアンスが聞き取れなかったのかもしれない。
自我の構造の違いに傷ついたのかもしれない。
西洋では、すべての微妙な多次元クオリアを
イエス・ノーの二項論理に単純化して表現できる
荒っぽい自我を持たないと相手にしてもらえない。
アジアの微細な多項論理で育った韓国人学生は
人としてまともに相手にされないような
違和を受け取ったのかもしれない。
ほんの少しの気持ちが伝わらない。
相手のいっている言葉がロボットの言葉に聞こえる。
45を過ぎて英語をしゃべりだした私には痛いほどわかる。
イギリスやアメリカの学生英語など聞き取れるものではない。
日本のキャピギャルの言葉がつかめないのと同じだ。
周りの世界がだんだん遠くなる。
そのうち、個人の区別なく、「どいつもこいつも」
(こう感じられるのが神経症の入り口だ)
同じように自分を敵視しているかのように感じられ始める。
この世界はおかしい。
まるで共振する心のない
ロボットかヒューマノイドばかりに占領されたかに思われる。
そこから世界全体が自分に敵対しているという
妄想までは一直線だ。
わたしも、インドで学校建設の最中に
自分の意向が誰にも伝わらず、
日本から送った電気製品がすべて外国郵便局で引っけられ、
膨大な税金か、さもなくば袖の下をよこせという
腐りきった郵政官吏に何度も怒り心頭に達し、
おまけに工事が延々と長引き、
いつまで経ってもこの地獄から脱出できないという妄想に
たか られたとき、そうなった。
周りの世界が自分を絞め殺そうとでもしているかの
恐怖に囚われるのだ。

なぜそういうことが起こるのか?
そのとき下意識深く折りたたまれていた
胎児期最後の生死の境のクオリアが
一気に共振しだすのだ。
子宮収縮が始まり、それまでの羊水でゆらいでいた
極楽世界が一気に死をもたらすかのような
殺人機械に変貌する。
胎児にはその収縮がいつ終わるか予測できない。
永遠に続くかと受け取られるのだ。
出口なしの恐怖の中で、胎児は追い詰められる。
わたしを殺すな! わたしを殺すものは殺してでも生き延びる!
という生物学的怒りに駆られる。
命は自分を殺そうとする子宮を殺してでも
生き延びようとする。
意識は覚えていないが命はそれを覚えている。
現世で同様の妄想状況に陥ったとき、
胎児期の出口なしの恐怖と怒りのクオリアが一気に噴出す。

世界に対して銃を乱射する。
それは子宮を蹴破る胎児の足掻きと一緒なのだ。
そこまで追い詰められると誰もが殺人者に変貌する。
周りの世界に対して敵意を発するのも、
それを自分に向けて自殺に至るのも同じだ。
わたしも周りの人間を皆殺しにするか
自分が4階の屋上から飛び降りて自殺するか、
どちらに振れるかわからなかった。
どちらになるかは、ほんの偶然による。
その学生はたまたま銃がたやすく手に入る米国社会にいた。
さもなければ自殺に向かっていた。

アルカイダのアラブ人もそこまで追い詰められていた。
9.11も、今回の米大学乱射も同じ契機から発している。
米国社会には主流派以外の人間に対する
強烈な圧力がある。
それが米国の残酷な無意識だ。
米国だけではない。
日本やヨーロッパの先進国も同じだ。
この国家を変えない限り、同じことは永遠に繰り返す。


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# by subbody | 2007-04-20 03:40 | からだの闇に聴く

共振性原理の根本公式

2006年9月28日

●共振性原理の根本公式

今日は生体共振のゆらぎを咸じることに集中しつつ、
共振タッチ技法の授業を進めた。
生徒が、生体共振のことを、
なんらかのエネルギーを咸知しているのだと
誤解しているようだったので、
生徒にエネルギーとクオリアの違いを説明した。
われわれは生体共振のクオリアを咸知しているので、
フィジカルなエネルギーではない。
その両者は根底的に違うものだと、
次のように述べた。
だが、述べながら、ふと妙な感じが横切った。

「アインシュタインは、
相対性原理によって、
エネルギーと物質が同じものであることを発見した。

E=mc2

とは、質量に巨大な数(光速の二乗)を掛けると
エネルギーになることを示している。
質量とエネルギーは相互転化可能なものなのだ。
それが相対性原理が実際に告げるところだ。

だが、クオリアはエネルギーではない。
われわれはエネルギーのクオリアを
感じることができる。
すなわち、光のクオリア、電磁力のクオリア、
重力のクオリアなどを感じることができる。
だが、クオリアそれ自体はエネルギーではない。
根本的に別物なのだ。」

授業の後で、屋上のハンモックに横たわりながら
そのとき横切った妙なサブシグナルが
なにを意味しようとしていたのだろうと
からだの中でうつらうつら揺らせていた。
すると、突然とんでもないことに気づいた。
エネルギーとクオリアが別物だというのは
俺の思い込みかも知れない。
これまでの共振論を昨日読み返してみると、
クオリアがひも共振の微細次元での
振動によって生成するという仮説が
どこか窮屈な感じがした。
微細であれ、粗大であれ、
ひも共振はひも共振だ。
ひもはそんな区別などせずに
11次元で共振しているに違いない。
何とかしてその窮屈さを
突破する道はないかと
意識下で探していたのだ。
それがきょうのあの妙な感じになって現れたのだった。

突然、共振性原理の公式が浮かんだ。

Q=E/R11

クオリア=エネルギー÷[ひもを振動させている根源力の11乗]

Rはとんでもなく大きい数なら何でもいい。
宇宙でいちばん大きい定数がその候補になる。
いまはひもを振動させ続けている
未知の力を仮に想定している。
ひもは宇宙開闢以来振動し続けて
衰えることを知らないのだから、
その力の大きさは想像もつかない。
11乗というのは、ひも理論の
11次元説に引っ掛けたしゃれのようなものだ。
想像もつかない巨大な数でエネルギーを割ると、
クオリアに転化するということを表している。
具体的な数字を人類が発見するのは
千年ほど後になるだろう。
だからこだわっても仕方がない。
ひもは人類の現在的な科学力の及びもつかない
遠い微小な世界で振動している。

でも、これによって、
クオリアが、物質やエネルギーの世界と
あまりに遠く隔たっているにしても、
一続きの世界の出来事だということが
明らかになる。

同じ宇宙に物質も生命もクオリアも
生成しているのだから、
当然といえば当然だ。

これで、今後は、生命とクオリアの関係を
解明し尽くせばいいことになる。
それにもほぼ見通しがついている。

生命論と共振論は一気に
大団円に向かいそうだ。

2006年9月28日は、
共振論原理の骨格が姿を現した日として
記憶されるだろう。

共振性原理は生命とは何かを解明する
手がかりを与えるものなので、
実際のところ相対性原理などより
はるかに重大な原理なのだ。

ヒマラヤ住まいのおかげで
とんでもない自由闊達な発見が相次ぐ。
現代の知性に囚われた人からは
妄想と受け取られるだろうが、
そんなことは百も承知だ。
井の中のかわずの目にどう映ろうと
そんなことはどうでもよい。

まったく楽しくなってきたものだ。
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# by subbody | 2006-09-29 00:36 | 共振論

共振ゆらぎという概念

2006年9月25日

●共振ゆらぎについて

今日の授業プランを立てているときに、
<共振ゆらぎ>という新しい根本概念に出くわした。
これまでずっと、
生命ゆらぎに聴き入ってきた。
生体はどんなに不動の姿勢をとろうとしても
からだの内外で多くのものがゆらいでいる。
このゆらぎこそ、
命のクオリアの重要な要素だろうと捉えて
長年これに耳を澄まし続けてきた。
授業でも毎朝のゆらぎ瞑想のときに
いつも生徒に言う。
「命に耳を澄ましてください。
どこに君の命があるのか
私は知らない。とにかく
どこかにあるだろう
君の命に耳を澄ますように。」
今日の授業のリハーサルをしているときに
ふと、生徒に対する次の問いを思いついた。
「なぜ、命がゆらいでいるのだろうか。
そのわけを考えてみてください」

自分自身でそのわけを考えてみると、
命はいつも世界や宇宙のすべてのものと
共振しているからだということに気づいた。
命がもし、微細な次元で振動するひもの
共振パターンの変化によって生成しているとすれば、
他の万物同様、われわれの命も
宇宙全体の巨大なひも共振の海の中にいることになる。

ひもとひもは互いに影響しあい、
響きあっている。
だからひも共振の生成物であるわれわれの命が
つねに共振のなかでゆらいでいるのも
当然のことなのだ。

そう思って、両手を近づけ、
手のひらの間で生じている
生体共振に耳を澄ますと、
それらがつねに微細にゆらいでいることが
感じられる。
そうだ、これが共振ゆらぎなのだ。
共振しているクオリアはいつもゆらいでいる。
これは誰にも感じられる。

ここから進めていけば
サブボディ=コーボディの共振世界へ
すんなり入れるはずだ。
ひとつのとてもよいからだの闇への
坑道の入り口を見つけることができた。

<共振ゆらぎ>
これは共振メソッドをほかの人に開いて行くための
大きな取っ掛かりになる。

目に見えないものも
しっかりからだで感じられれば
その存在に気づくことができる。
こうして一歩ずつ掘り進んでいくしかない。
だが、ときどき今日のように
よい坑口が見つかると、
からだの工夫(こうふ)冥利に尽きる。
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# by subbody | 2006-09-27 01:11 | 共振論

生への志向性

2006年9月21日

●無数の生命システムの中で

いまの生命が発生した40億年以上前の地球上では、
いまの生命システムとは違った型の
無数の亜生命システムができかけては
滅んで行ったに違いない。
たまゆら成立して生きたもの、
ほんの少しは自己増殖に成功したが
やがてなんらかの不都合で滅びたもの、
成立途上のDNAシステムの
無数の試行錯誤の失敗作たち……
など、さまざまなシステムが登場しては
跡形もなく消えて行っただろう。

その中でこのわれわれに続く命だけが
40億年も生き延びることに成功してきたのはなぜか?
その秘密はどこにあるのか?
いったいどうしてこんなに強固な
生き延びようとする志向性を生み出しえたのか?
この生への志向性の原基とはどんなものだったのか?

生命ゆらぎ瞑想の中で
ひとえにそのクオリアに耳を澄ます。
聴こえてきそうで聴こえない。
もっともっと、クオリアなかから
余計な夾雑物をフィルターで漉す
仕組みを発明する必要がある。
必要だけが発明の母だ。

私の創造的なサブボディさん、
次の課題はこれです。
よろしくお願いします。

こう願っておけば
近いうちきっと答えを見つけてくれるのだ。
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# by subbody | 2006-09-22 01:56 | 共振論

もっとも原生的な生命クオリアへ

2006年9月18日

●もっとも原生的な生命クオリアとは?

なんだか、途方もない疑問を抱え込んでしまった。
長年生命のクオリアに耳を澄ましてきた。
生命クオリアほど
精妙で深い味わいを持つものはほかにない。
生命はいつもゆらいでいる。
それも無数の多次元を横切って。
元気が出るかと思えば
知らぬ間にくぐもっている
息苦しさ
底抜けの明るさ
へこたれなさ
微妙な震え
激しい衝動
甘いゆらぎ……

いのちのクオリアの中には
ほとんどすべてがあるといっていいほどだ。
そして、このなかで
もっとも根源的なクオリアとは何かを問う。
なぜこの問いがやってきたのか
自分でもよく分からない。
ただ、無性にそれをつかみたい。
明日にそれを聞かば夕べに死すとも可なり
というほどのものだ。

それがつかめたら、すべてのものとの
透明なつながりが明らかになる。
いのちとクオリアとのつながり
生命と非生命とのつながり
生命と宇宙とのつながり

そんな途方もないなぞが
少し解けるのではないかと
夢想している。

実際、この宇宙のあらゆる質量やエネルギーが
ひもの共振パターンの変化によって
生成しているとしたら、
あらゆるものは永遠に更新し続けているわけだ。
生命だけが自己増殖しているのではない。
あらゆる物質もエネルギーも
永遠に自己増殖し、しかも長い歴史の中で
多様化してきたのだ。
自己増殖も多様化もひとり生命だけの特性ではない。
もともと宇宙のひも共振パターンは
ゆらぎを含んでおり、
無限の多様性を生み出す性質を持っている。
だとしたらいったい、生命独自の特性とは何か?だ。
これまでの生命の定義は、
最新のオートポイエーシス論をも含んで
いまなお不十分すぎる。
それらは生命独自の特性を
まだ十分にはつかみきっていない。

からだの闇を掘っていると
こんな途方もないなぞに出くわしてしまう。
途方もなさすぎて
また、楽しからずや、だ。
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# by subbody | 2006-09-22 01:51 | からだの闇に聴く

ユーザーイルージョン


2006年9月13日

●ユーザーイルージョン

ここ数日、フリップブックにはまり込んでいる。
Picture Trail.comに写真をアップロードすると、
各種のフリップブックやアクロバット・キューブなどで、
多彩に見せることができる。
いままでのFlickrでは、
スライドショーとフラッシュバッジだけだったので、
多彩さの点でPicture Trailのほうが断然面白い。
特に、私は長年雑誌やPR誌の編集者や
コピーライターとしてえさを拾ってきたので、
ページ物のクオリアが懐かしい。
私が毎日サイトを訪れる詩人の清水哲夫さんも、
3年越しでフリップブックの雑誌を発刊した。
彼も長年編集者としての経験を持つ。
マウスでクリックするとページがめくれるというのは、
見かけ上のユーザーいるージョンに
過ぎないのは分かりきっているが、
私の脳はそれでも十分満足できるのだ。
クオリアは幻現二重性という性質を持つから、
頭の中では幻想のページを繰っている
感触を得ているのだ。
『ユーザーイルージョン』は、
デンマークのトール・ノーレットランダーシュの
書いた名著のタイトルだ。
意識というのが、どんなに幻想であるか、
を的確に抉り出した。
私はこの著から深く学んだ。

意外な偶然だが、
先日リサから受けた催眠は、
ジャックというアメリカの催眠療法家の技法だが、
ジャックもまた、
人々の日常的な意識状態こそ
意識という催眠にかかっている状態であり、
催眠をかけるとは逆にその日ごろかかっている
<催眠を解く>
ことなのだという立場を取る。
トール・ノーレットランダーシュと
基本的に同じ立場に立つひとだ。

アメリカの大学院に行っていた
友人の高橋明美さんが、
やはり現地でジャックから催眠を受けて、
囚われていた思い込みから解き放たれたという。
リサからも受けて、
アメリカではまっていた喫煙の習慣からも
いま解き放たれつつある。

サブボディ技法も同じ立場を取る。
日常意識とは、意識優先の意識という
幻想に囚われている状態であり、
この意識状態から解き放たれて、
サブボディ状態になったとき、
はじめて自分の全体と
コミュニケーションできるようになる。
そのひとの固有性も創造性も共振性も、
すべてサブボディ領域に詰まっている。
それを解放して新しい自分になることができる。

さらに、私はフーコーの弟子なので、
現在の意識優先の意識という
近代ヨーロッパが世界中に広めた知の様式を脱ぎ、
意識と下意識を等価に使えるような、
<透明覚>
の状態に移行することが
今後の人間の行き方だと信じている。
いまの知の様式は
命にとってもっとも大事な
共振と創造というふたつの要素から疎外されている。
それは資本主義経済にとってのみ重要なものだ。
人間を生命から自己疎外し、
近代の病いに叩き込む魔の仕掛けだ。
そこで病んだ者は、
病院というさらにひどい
生命本来が持つ自己治癒力をはじめとする生命力を剥奪し、
医者に頼りっきりの状態に人間を弱体化させるものだ。
あらゆる病いとは、
本来の生命のあり方を裏切り、
迫害し続けている現代生活への囚われに対し、
生命の根源から上がった抵抗の火の手なのに。

ウミウシはいやなものに出会えば嫌がって身をよじる。
人間はその身をよじる原生的な感覚をなくしたために、
病気にまでならないと、
自分がいかにいやな、生命に反する状態に
閉じ込められているかがわからないのだ。

ここから先が本当の私の闘いだと思う。
これまでの歩みは、
この出発点を見つけるための迂回路だった。
いまわたしはこの新しい生を
共に切り開こうとする同志を切に必要としている。

くわしくは
サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ
http://subbody.com/へ
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# by subbody | 2006-09-14 02:29 | クオリアの海へ

催眠療法を受けてみた

2006年9月10日

●クレニオセイクレルと催眠療法

ダラムサラのチベット人元政治犯の
人たちの拷問後遺症を癒すために
アメリカのシアトルから、
9人のクレニオセイクレルの技能を持つ人たちが、
来印して、治療にあたるというプロジェクトが進んでいる。
いまちょうど半分の日程が済んだところだ。
当初もっとも心配されていた、
チベット人たちが続けて治療を受けに来るかという問題は、
26人のチベット人たち全員が毎日受けにやってくるということで、
杞憂に終わったようだ。
誰もが何がしかの気持ちよさや、
効果があるという手ごたえを得ているようだ。
私もかれらから、クレニオセイクレルを受けてみた。
ちょうどゆらぎ瞑想で
超微速のゆらぎに移って、
サブボディ(下意識)モードに切り替えるときの
速度と同じゆっくりさでからだに触れ、
微細なからだの闇のクオリア流動を促す手法だ。
これなら効くだろうと思った。
触れ方のバリエーションなどいろいろ学ぶものがあった。
もともと私は自分がからだに対する手技を受けるのが大好きなので、
世界中の手技を受けて回った。
その中から下意識に働きかけるもっともよい触れ方を総合している。
クレニオセイクレルは、もっとも微細な触れ方のひとつだ。
タイ山岳民のアカ族のマッサージも
肌にそっと触れ続けるだけのほのかなものだった。
イスラエルのヒーラーのハリーの手技も
からだのゆらぎをそっと増幅するものだった。
レイキのようにまったく触れずに手をかざすだけのものもある。
生命体はもともと微細なひも共振レベルで共振しているし、
微細次元のクオリアを感じ取る力を持っているのだから、
フィジカル以外の共振を感じ取っているのかもしれない。
東洋の<気>とは、
そういう未解明の不可視の相互作用をさしているだろう。
私自身にとってもこれから究明していかねばならない
広大な闇が拡がっている。

リーダーのリサは、
催眠療法もやるというので
それも受けてみた。
シアトルのジャックという仏教系の催眠療法の技術だが、
意外な導入方法を持っていた。
リサは会うなりいきなり
とうとうとその療法の理論を述べはじめた。
特異な心理学用語を多用するので対応に骨が折れる。
ルンタプロジェクトの高橋明美さんに通訳をお願いしたが、
それでも理解に四苦八苦だ。
小一時間話すうちにだんだん頭が痛くなってきた。
uncomfortableと、disturbingの違い
についての話題になったあたりで、
とうとう我慢できないほど気分が悪くなって話を中断して横になった。
すると、その瞬間を待っていたかのように、
リサは催眠的な導きをはじめた。
からだのなかの怒りを感じつづけて、
その体感のイメージを語るように言う。
それを語っているうちに、その怒りを解き、
自分の中のハイヤーセルフに会うたびに招待するという。
ハイヤーセルフなど信じない私も、
論争する気にはなれず、
まあいいやと導かれるまま旅に出た。
近所の野山の道を歩いているところを思い浮かべる。
やがて、動物の導き手が現れる。
わたしは犬を思い浮かべた。
その犬に導かれて歩いていると、
小屋がある。
ドアを開けると誰かがいる。
老人だ。
だがあまりに元型的な老賢者との出会いという
ストーリーに抵抗が生まれたのか、
老人のイメージは壊れ、
アメーバのように溶け出した。
俺らしいなと思っていると、
それはハイヤーセルフではなかったようだ。
もっと旅を続けようという。
歩いていると洞穴とかがあるかも知れない
というリサの暗示に従って、
わたしにも洞窟のイメージが湧いてきた。
今度の洞窟には長い髪と髭をのばし老人がいる。
老人になにか贈り物をしようというので、
ポケットを探すと笛が出てくる。
笛を老人に渡すとかれはそれを口の中に入れてしまう。
老人がなにか贈り物をしてくれるというので、
口にいれた笛がベルに変容して出てくる。
それが老人からの贈り物だ。
そのベルがからだに溶け込む。
黄金の光に包まれて輝きだす。
リサの誘導も手伝って、
そういう夢のようなイメージが浮かんだ。
よくあるイメージだと思うが
下意識は暗示に抵抗できない。
気づいても動でもいいやと思えてしまうのだ。
半催眠状態の中で、
おっ、このベルは共振のシンボルではないか、
俺らしい贈り物だなと気づいた。
俺はからだに共振のシンボルの黄金のベルを入れて、
ひとびとに共振のよさを伝える仕事がしたいのだという
メッセージを内なる下意識から受け取ったわけだ。
催眠から目覚めると胃の痛みも消えすっきりとしていた。
自己イメージがすっきり通った。
なかなか心地よい体験だった。
リサの催眠療法はこうして
自己の下意識との交通を促すものらしい。
自全に出会うよい手助けになる。
当初、わけの分からない話題でクライアントを混乱させ、
意識をストップさせてしまうという手口は
なかなか見事なものだった。
まんまとかかった。
私も、朝から灰柱で歩きながら
胎児になりこむ瞑想歩行続けて、
催眠を受ける準備を整えていたので、
かかりやすいからだの状態になっていたようだ。
じつは、サブボディメソッドでもよく似た手を使う。
意識では追いつけないほどの課題を
次から次へと生徒に与えて
意識など使っていては間に合わないという状態を作り出すのだ。
同時に足の裏にかかる重心のゆらぎと、
呼吸と、内呼吸による快感に同時に耳を澄ます
というような芸当は意識にはできない。
必然的に下意識モードになっていく。
世界にはじつにいろいろな手法がある。
だが、それらに共通しているのは、
日常的な自我への囚われから逃れ、
下意識を含む自全に出会うということだ。
それを考慮すれば、
あらゆる心理療法や身体療法の位置が見透かせる。
ジェンドリンのフォーカシングは、
自全の咸じる不全感に注目して
その意味を受け取ろうとするものだ。
ミンデルのプロセス指向心理学は、
そこで受け取った微細なサブシグナルを増幅し、
一次プロセス(日常体のアイデンティティ)と
それを超えて新しい自己を求める二次プロセスとが
ぶつかり合うエッジに直面させて
、エッジを乗り越えていく自全の旅を促すものだ。
野口整体は、
下意識のからだから自然に出てくる動きを増幅する活元運動や、
それを二人でシェアする相互運動を通じて、
自全と交通のよい心身を養成していく。
サブボディメソッドは、
それらの動きをさらにサブボディ舞踏にまで
創造することを通じて、
自己心身を一新する。
おそらく、世界中で、
これらすべてのプロセスを総合的に見通せている
もっとも透明度の高い技法だ。
上に述べたすでに定評のある優れた方法に比べ
後から生まれてきたのだから、
当然のことといえばそれまでだが。

サブボディメソッドは、これから、
生命の持つ共振と創造というふたつの本性に向かって
人々がじょじょに解放されていく道を切り開いていこうとしている。
そのためにさらに、なにをしなければならないのか?

関連記事を読むには、
サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ
http://subbody.com/へどうぞ
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# by subbody | 2006-09-11 01:45 | からだの闇に聴く

からだの闇に耳を澄ます



<
2006年9月8日

●下等動物の体感になりこむ

このごろ一日のうちかなりの時間を
目隠しをしてすごしている。
日課となっているゆらぎ瞑想も、
灰柱の歩行も目隠しをしてするのがいい。
外界を目隠しの灰柱で歩行するのはもっといい。
からだの闇の手ざわりが濃くなる。

いろいろなクオリアを咸じる。
さまざまな思いも立ち上ってくる。
このクオリアや思いとはいったいなんだろう。
人間のような高度に発展してしまった生命体を
もとに考えるのは複雑すぎる。
それを生命の原初形態から捉えなおしていくのが私の方法だ。
アメーバや粘菌も彼らなりのクオリアを感じている。
わたしはかれらの体感になりこんでいく。

すべての体感クオリアはゆらいでいる。
生きているという生命クオリアが
さまざまな方向にふくらみ、
ゆらぎ、しぼんでいく。
快不快方向にゆらぎ、
安不安にゆらぎ、
全不全のあいだを
ゆらいでいる。
アメーバや粘菌もこのように
ゆらいでいるのか。
自分自身がそういう脳も神経もない生物に
なりきったつもりでかんじて見る。
アメーバが無理なら、ウミウシでもいい。
粘菌もウミウシも、
いやなものを嫌がり、
好むものに近づいていく。
生命の根幹が何なのかをつかむには、
この下等生物へのなりこみを続けて
原生的な生命感覚を磨いていくのが
もっとも確かな道なのだ。

人間の脳のニューロン細胞は粘菌そっくりだ。
ニューロンが伸びていくつものつながりを作っていくのは、
粘菌同様、おいしい物質に誘われて伸びていく。
最近の脳科学はその物質を
神経成長因子(NGF)と名づけている。
脳の中に新しいネットワークができるとき、
ニューロンの到達すべき標的部位が
神経細胞の生き延びに必要なNGFを分泌する。
それがニューロンを引き寄せて伸張させているという
精妙なプロセスが解明されつつある。

私たちは脳で感じていると受け取っているが
脳の個別の現場では粘菌そっくりのニューロンが咸じている。
私が粘菌になりこむ修行を長年続けてきたのは
クオリア発生の精妙な現場を咸じられる
高性能なからだになるためだった。
いまから振り返ってそういえる。

人間が何かのクオリアを感じているときは、
脳内のニューロンループが、
連結発火していることまでは分かってきている。
だが、なぜ、ニューロンループが連結発火すると
クオリアや思いがわきあがるのかは
誰も解明していない。

脳のニューロンになりこむと、
ニューロンループの発火によって
微細次元で励起し続けている
ひも共振ループになんらかのしかたでコネクトすることで
クオリアを咸知することができているのだという感触がつかめ

る。
わたしたちが色鮮やかなクオリアをこんなに
すぐさま想起できるのは、
どこか外部記憶装置のようなところで振動し続けている
ひも共振に触れられるからではないか。

だが、それを証明するのに何百年、
何千年かかるか分からない。
それほどひもの世界はまだ人間の科学力にとって
近づきがたいほど遠く、微細なのだ。
だが、クオリアや思いはすぐ手元にある。

そんなことを思いながら灰柱で歩いた。
いつものように壁についた。だが見ればなんと
90度以上も湾曲して歩いていた。
まったくそれが感じられなかった。
方向を咸知するからだの原生覚が
思考によってお留守になっていたのだ。

休みの練習場に
近所のルンタハウスの日本レストランで働く
直子さんとその子供たちが遊びにきた。
インドで生まれ育ったチュニとチカだ。
かくれんぼをしようというので
目隠しをして歩かせた。
すると、9歳のチュニと5歳のチカは、
物怖じもせず普通の速度で歩き出した。
大人ではこうはいかない。
いきなり視覚を奪われれば
おっかなびっくりのへっぴり腰になる。
だが、子供たちは視覚などなくても
自分がどう動いているのかが分かる原生的な感覚を
たっぷり持っているのだ。
いつのまにそれを失ってしまうのだろう。
失わずに大きくなる道もあるのだろうか。
子供と原生覚の関係は興味深い研究領域だ。
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# by subbody | 2006-09-09 18:25 | 舞踏学校日録